30年以上の付き合いの友人(Nちゃん)とランチしました。
積もる話で盛り上がって、いっぱい いっぱい 話したけど
さやかさんの話になった時に
「スマイリーママの話は聞くけど、私は実行には移さないよ。」って言われて
「もちろん、私がさやかさんを応援したくてしているだけで、
Nちゃんにして欲しくて話しているわけじゃないから」って言っても
「ほとんどの人は私と同じ気持ちだと思うよ」って
私 「うん。それは理解している。でもありがたいことに一緒に応援してくれる人もいるんだよ」
N 「すごい子がいるなって思うけど、自分の生活とかけ離れていて・・・」
私 「大丈夫だよ。聞きたくなかったら、この話はしないし」
N 「大事な友達の話だから聞くよ。でも感情移入はできない。それが普通だと思う」
私 「ん?」
N 「わかる?私の考え方が普通だよ」
私 「ん?」
N 「わからない?普通はそうなんだよ」
私 「??????」
それで、さやかさんの話は終わりました。
そのあとも、いろんな話をして
「また会おうね」ってバイバイして
1時間半の帰り道、自分の「?」について考えました。
友人は私に納得させたかったようですが
私は元々応援や寄付を期待しているわけでもないのに
何を納得させたかったの?
「普通は」っていうこと?
でも、「普通」って何? 民主主義の多数決?
「普通じゃない」のは「異常?」 そんなことはない。
確かに、さやかさんの行動は普通はできない。
それを熱心に応援している私は、客観的にみると普通ではないかも。
でも、「したい」っていう気持ちは仕方ない。
私は「ん?」で終わったけど
若い時に言われたら「私が変かな」って悩んじゃうんだろうなぁ
たどり着いたのが
以前、天使さんに教えていただいた[ものさし]
友人と私は「ものさし」が違う
その違いを私は認めているのに
友人は自分の「ものさし」の正しさを納得させたかった?
違うかもしれないけど、そうかなぁ?
なーんて、ちょっと哲学しながら帰りました。